新型コロナが表面だけ取り繕っている人たちの本質を暴露している
前回、4月初旬までの新型コロナウイルスと人との関わりについて考えることを書いたので、5月に入った今も現状を更新しておこうと思う。
3月時点での周りの人たちは、電車通勤を車通勤に変えたり、外へ出るときはマスクをしたり、飲み会の誘いを断ったりしている私に、気にする人はそうすればいいというような接し方だった。
4月に入ってからは、手の平を返したようにという言い方が適切かわからないが、私の周りの人たちは新型コロナウイルスに対して危機意識を持ち始めた。
3月に飲みに誘ってきた呑気な友人が『新型コロナウイルスが危ないから気を付けないとだめ』『この時期に店頭に立たせるなんてありえない』とSNSで発信しているのを見て驚く。
今まで危険性を承知した上で、花見や送別会、お泊り会をやっているのかと思っていた。
彼女は、ニューヨークに住む日本人からの注意喚起の動画を見て、ようやく危機意識を持ったようだ。
今まで私が言っていたことは、何も響いてなかったのかと落ち込むと同時に
世間の大半の意見に寄っていく彼らは、何かに操られているかのようでもあり、怖さを感じた。
入ってきた情報を鵜呑みにし、普段から物事を自分で考えるということはしないのだろうか。
世間、というかネットでは、外出を自粛せずに通常通りの行いをして感染した人たちを悪者に仕立て上げ、叩きまくるということが起こっている。
そんな自分たちは、新型コロナウイルスが武漢で猛威をふるっていた1月頃から外出自粛をしていたというのだろうか。
叩く人たちというのは、『自分たちは外出するのを我慢しているのになんで』というやり場のない気持ちがあるのだろう。
我慢していると思うから辛くなるのだ。
もっと現状を受け入れて、できないことを悲観するのではなく、今だからこそできることに目を向けるということをしないのだろうか。もちろん、他者を叩くということ以外で。
そして、在宅勤務になり、休みの日も家にいることが「暇だ」と言っている人も同じだ。
暇だと言うのは、自分に能力がないと言ってるのと同じだと思う。そんな堂々と言うものじゃない。
普段から与えられたことしかやっていない証拠としか思えないからだ。
そして、会社のせいにしているようにも聞こえる。
今、自分にできることは何か、普段の仕事から考えていれば、環境が変わったときでも暇なんてことは起こりえないはず。
私は、品質管理の仕事をしていたので、リスク管理で人の本質が見えてくるというのは身をもってよく知っている。
『これからどうなるか分からない事柄に対して、どういう行動を取るのか』
これで、ただ自分のことだけ考えて取り繕っているだけなのか、本気で考えているのかその人の本質が分かってしまう。
人は、変化を嫌う側面があるため、事が起こってしまった後にしか行動できない人が多いというのは事実だ。
今回の新型コロナウイルスの感染が拡大してしまったのも、私たちが行動を起こすのが遅かったからだ。
その中で、どういう行動を取ったか。
何もしなかったのか、誰かの動きを待って周りに流されたのか、人のせいにせず自分で考えたことを行動にうつしたのか。それこそがその人や組織の本質だ。
今回の件で、何かのせい、誰かのせい、他人任せにしている人たちは、コロナウイルスが収束しても一生そうやって生きていくのだろう。
本質が明らかになっていく中、コロナウイルス収束後は、今まで何かと理由をつけて取り繕われていたことがなくなる世の中になっていると思う。
在宅勤務や時差出勤が増えて、満員電車が緩和するかもしれない。勤務時間よりも結果が重視される世の中になり、残業が減るかもしれない。
疑問に思うこと、不満に思うことがあるなら、今が変えるチャンス だと思う。
ここで動くことができる人や組織が、今後のよりよい社会をつくっていくことになるだろう。
▽3月の新型コロナウイルスと私の周りの人たちについて
▽2月の新型コロナウイルスと私の周りの人たちについて