店員なんてみんな無愛想でいいのに
接客は愛想よくしないといけないという考え方が理解できない。
今まで、
定食屋、居酒屋、バー、カフェ、ガソスタ、レジ、物販店、試食販売
で接客を経験してきたけど、どこで仕事をしても答えはでなかった。
面白いことがあったわけでもないのに、口角をあげないといけないなんて、心をころさないとできない。
人間をやめろと言っているようなもん。
それを強要する人たちの感覚がわからない。
商品を売る仕事ができれば万事オーケーではなかろうか。
無愛想な店員には、客の立場で出会ったことがあるけど、なんとも思ったことはない。
むしろ自然体な様子が好印象。
自然体な接客は、こちらも自然体ですごく楽でいられる。
無理に話しかけたり、
大きい声をだされたり、
ずっと同じ笑顔だったり、
そんな接客をされると、どっと疲れる。
本当にそこまでする必要があるのかと考えてしまうし、不自然すぎて怖さも感じる。
無理な接客には、こちらが無理をさせていることがわかってしまうからエネルギーが大量に吸い取られるのだろう。
滑稽な場を提供したくて、客を笑わせるためにやっているのであれば、話は別だ。
印象づけや話題を生むための戦略には好感がもてるし面白い。
その時点で、店員は商品を渡す役割ではなく、店員自体が商品になる。
つまりは、演者として雇われることになる。
演者として雇われていない店員が、自分の心をころして何かを演じる必要があるのだろうか。
実のところ、愛想のいい接客をする理由なんていうのは、ないんじゃないかと思っている。
親や仕事先からのすりこみで、
店員側も客側もこうじゃないといけないんだと思い込んでるだけでは。
接客の研修が洗脳じみていると思ったことはないだろうか。
愛想よくする理由がないから、洗脳教育のようになってしまうのだと思う。
同業者で
「自分も頑張ってそうしているのだから、他の人もそうしないとおかしい」
と思っている人もいるのかもしれないが、
自分がやると選択したことをやらないと選択した人に求めるのはおかしい。
愛想のいい接客のほうが気分がいいという人は、
「自分がだれかより上だ」と傲慢になれる場面がほしいだけではないだろうか。
店員は、客の自尊心を満たすためにレジを打っているのではない。
だから、無愛想な店員がいても、なんら不思議な現象ではない。
そもそも、愛想をふりまいてもらうために買い物に行ってるわけではないだろう。
店員の愛想がなかったら買うのをやめると言ってる人もいるようだけど、
ネットショップだったら、人の笑顔がなくても物を買うのでは?
無愛想だと嫌われてるんじゃないかと思ってしまうとかいうのも、
「初対面でそんなわけあるかいな」と思わずツッコみたくなる。
良くも悪くも他人に興味がある人なんていないのだから、そんなふうに思う必要はない。
店員にとって興味があるのは、今日の夜ご飯か、今月の給与額くらいだろう。
店員の接客で気持ちのいい思いをしたとしても、短期的にしか自尊心は満たされないのだから、やめたほうがいい。
なぜ、そこまで人に求めようとするのか。
求めているのは商品ではなかったのか。
人に求めたいなら、そういう場へ行ってお金を払えばいい。
文句を言いたいだけなら、ただの悪質なクレーマーだ。
というか、本質的な理由も分からず思考停止で愛想がいい接客をする人がいるから、
自尊心のない人たちに無愛想な人がダメと言われる。
何のための笑顔なのかわからないのに、
誰かからそうしろと言われただけで愛想よく接客をし続けられる人たちに
人の心と自分で考える力が残っているかが疑問だ。
無愛想な店員がこの世からいなくならないのは、無愛想な接客こそが本質だからではないだろうか。